ブルーノ・タウトの研究

2016.03.01

筆者は1971~73年の間ベルリン工科大学へルマン・リーチェル研究所に客員研究員として在職していた。1972年に恩師である建築家武基雄先生の訪問を受けた。ベルリンは有名建築の宝庫ですから、それらを訪ねてくる多くの訪問者を受け入れた。多くの方は私の設定する3時間コース、6時間コースなどの有名建築訪問で満足して頂けた。しかし武先生はそうではなかった。「自分はこれとこれを見学したい!」とのご主張だった。その一つがオンケルトムズヒュッテという場所に建つ集合住宅であった。この団地には筆者のドイツ人の友人も住んでおり、よく武先生ご指定の集合住宅の前を通って友人を訪問した事があった。この集合住宅こそタウトの設計であった。この集合住宅を車でご案内したところ、「オー」とか仰りそのまま棒立ちになられ、一体この方はどうされたか心配したものだった。

その夜ベルリンの拙宅を訪問して下さった武先生はブルーノ・タウトの事を詳しく説明してくださった。ナチス政権を逃れ来日したブルーノ・タウトを受け入れたのは早稲田の建築学科の先輩達であった。早稲田大学と東大で講演を行い武先生は東大にも付いて行って講演を聞き、かつ集合住宅設計論を直接説明して頂いたとの事であった。武先生は興奮気味にタウトの事を一方的に話された。その気迫に圧倒され、なぜオンケルトムズヒュッテの集合住宅で棒立ちになられたのかその時にお伺いすればよいものを質問しそびれてしまった。

この集合住宅は1932年の作品でタウトがドイツを脱出する直前の物であることから、タウトが日本で行った講演で使用されたものでないかと勝手に想像している。筆者も1973年末に帰国したのだが、武先生はその後病魔に襲われ、ついに帰らぬ人になってしまわれた。「不明な点、疑問に思った点があったらその場で質問し解決する事」というのがその時に得た教訓であった。

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