ブルーノ・タウトと富士山 その2

2015.12.10

1933年12月24日に東京から京都へ向かう。「クリスマスの前夜、京都に発つ、昼間は好天気であった。富士山!山頂から中腹の森林地帯まで白雪に蔽われてまことに偉大である、優美な雪菓子さながらだ、山麓から中腹にかけて、明澄細緻な趣。やがて全山は夕陽のなかに紅く輝きそめる、すると富士に連なる山々もまたその森林も、赤褐色を帯びてくる、美しい光景だ。太洋は紺碧。山野、村落の美しさ。富士とみれば、茜色に輝きつつ清澄な天空に泛んでいる、大地のものではなくて天から地への贈り物だ、遂に山頂の一角に紅の一点をとどめ、やがてその全容は開いた扇さながらに、迫りくる夕闇のなかへ沈んでいく。日本よ!私が日本を去ったらどんなにか君に憧れることだろう。」と記している。
タウトは日本を去るにあたり、関釜連絡船に乗船の為、東京から一旦京都へ向かい、下村邸に宿泊する。その1936年10月12日に車窓から最後の富士山を観察している。「空は曇っていた、富士山は頂こそ綿雲に包まれていたが、山腹から裾野へ引く線は、この上もなく美しかった」と記し、10月15日に関釜連絡船に乗船し「さようなら、日本よ!」と日本に別れを告げている。このような事で、タウトは沢山の富士山のスケッチを残している。富士山は2013年にユネスコの世界文化遺産に登録された。イスタンブールに眠るブルーノ・タウトもこの事に対し祝福しているに違いない。

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