ブルーノ・タウトと富士山 その1

2015.03.02

築家ブルーノ・タウトは桂離宮、伊勢神宮そして日本の民芸を激賞し世界に紹介したことで知られている。一方でブルーノ・タウトは滞日中富士山に大きな興味を持った。
富士山を仰ぐ最初の機会は来日して初めて京都から上京した1933年5月18日であった。タウトの日記は篠田英雄により翻訳された。タウトの観察眼とその表現力も素晴らしいが篠田の翻訳がまた素晴らしい。篠田文学と呼ばれるゆえんである。日記をそのまま採録する。「富士山は見えない。突然、平野が展ける。目立つ樹はほとんど松ばかり、森と雑木林がどこまでも続く…。」と期待を裏切られた状況を淡々と記している。
1933年6月10日箱根に遊び、京都への帰路沼津から急行「富士」に乗車している。ここで日記に「富士山は初め山裾の緑を見せているだけであったがやがて雲の上の青霄の一角に突然その頂きを現した。すると山頂は次第に大きくなっていく、いかにも趣のある現れ方だ。」と感動している。
1933年7月21日の京都から葉山へ向かう車窓でも「富士山は山裾をすぎた後でやっと私の眼前に仄かな輪郭を現した。」と記している。
1933年11月4日京都から上京する車窓で再び富士山を仰いでいる。「列車は明るい晩秋の陽にてらされた風景の中を通りすぎる。太平洋・・これはもう私達にとって親しいものになった。それから白雪を帯びた富士山の頂、円錐形の山頂はすっかり雪に蔽われている。紺碧の海、山々、田圃は稲刈りである、刈りとられた稲は束ねて架にかけてある。丸太や竿にさげてある柿と大きな大根、干柿や千大根にするのである。畑には艶やかな唐辛子が眞赤にかがやいている。海と山々、富士山は静岡沼津間ではとりわけ偉大である。左方には広大な裾野から、なだらかな曲線がくっきりと空を限りつつ上昇している。逆に言えば3500米の高さを山頂から麓へ向かって、えも言われぬ美しい曲線が大らかに弧を描いているのである。ところが右方の曲線は、下から3分の1のところで傍らの山々に連なっている。裾野の線が極めてゆるやかな勾配で上向し始めているあたりには森林があり村落がある。その上方は遠く霞んだ一面の森林でそれから上は、やや凹凸のある山頂まで雪に蔽われている。白雪は陽にてらされてあざやかな輪郭を劃しているので、山頂はあたかも青空からぬけ出て前方へ動いてくるかのような感を与える。こうして列車は、3時間も富士山に沿うて走るのである、それにつれて山頂の形と明暗とが少しずつ変化する。富士の前方には連山、浮雲が頂上をちょっとの間かくすこともあるが、やがてまたくっきりした姿を現わす。この山は遠ざかるに従ってますます地上のものでなくなり、明るくかがやいた大気の中に雲を帯びて浮かんでいる。神々の山だ。ここに日本、神道及びその文化の起源がある。世界でもっとも純雅なこの山の姿は天と地とをつなぐものである。」一番詳しく富士山を観察した状況を書いている。

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