桂離宮2

2015.01.26

ブルーノ・タウトは、来日するとその翌日1933年5月4日に、京都郊外にある桂離宮を訪れる。
桂離宮は、江戸初期に後陽成天皇の弟の八条(のち桂)宮、智仁親王が造営した別荘である。源氏物語になぞらえた回遊式庭園や書院、茶屋が、往時の姿のまま残っている。そして桂離宮の簡素で機能的な美しさに驚嘆します。「実に泣きたくなるほど美しい・・・」
桂離宮を見た彼は、栃木県にある日光東照宮を訪れる。しかしここではタウトはさほど感銘を受けなかった。タウトは、二つの建物を比較して、次のように書いている。
「日光の大がかりな社寺の如きものなら世界にも沢山ある。それが桂離宮となるとまるで違ってくる。それは世界にも類例なきものである。」東照宮のような建築物は他の国でも珍しくないけれど、桂離宮は比類のない傑作だというのである。タウトは、桂離宮を「天皇趣味」と呼び、東照宮を「将軍趣味」と呼んで対比している。
桂離宮は建築家岸田日出刀が昭和4年(1929年)に著した「過去の構成」に「モダーンの極致がある」と記しており、タウトが初めて桂離宮の美を発見したのではない。
昭和16年(1941年)12月8日、日本は英米に対し宣戦布告をし、太平洋戦争に突入した。昭和14年(1939年)にタウトの天皇家の文化を誉める、伊勢神宮を誉める、神道を称えると言った著書が出ることは当時の日本政府にとって、好都合な事で国粋主義高揚の為に推薦を受け多くの読者を得た。この本が出た時はタウトの死後であるが本来反戦主義者、恒久平和を求めていたブルーノ・タウトにとっては迷惑な話であったかもしれない。桂離宮、伊勢神宮共に日本が世界に誇ることが出来る木造建築である。

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