ハンネス・マイヤー

2019.07.22

1919年に創設されたバウハウスの初代校長はヴァルター・グロピウス、3代目校長はミース・ファン・デル・ローエであった。両校長があまりにも有名であったので、2代目校長の影がやや薄くなるのも仕方がない。2代目校長はハンネス・マイヤーである。
マイヤーは1927年4月にグロピウスから招聘を受けデッサウのバウハウス建築部のマイスターに就任している。1928年3月にはグロピウスの後任としてバウハウス校長に就任した。その時にかつて共同で建築設計事務所を開設したヴィトヴァーをバウハウスに招聘している。ヴィトヴァーと共にベルリンの北部郊外にあるベルナウ(Bernau)に全ドイツ労働組合総同盟の研修学校を1928年から1930年の間に建設した。マイヤーはバウハウス校長として綿密な教育プログラムを作成し、建築教育に力を入れた。しかし学生の中に共産主義者がおり、バウハウス内部でその勢力を伸ばすようになった。マイヤー自身も共産主義者であったことからデッサウ市と摩擦が生じるようになった。当時のバウハウスはデッサウ市立であったことから右翼系の新聞は「デッサウの税金がバウハウスを通じて共産党に流れている」と書き立てた。そのような政治的理由でマイヤーは1930年に解任され、モスクワの建築学校であるWASI大学の招聘を受けモスクワへ移住した。
マイヤーは1920年代の最も優れた機能主義者の一人に数えられている。氏の代表作はベルリンの北部にあるベルナウのドイツ労働組合総同盟の研修学校である。バウハウスが求めた良いプロポーション、実用的で簡素な事、手工業と芸術の統合を主張し、この結晶がベルナウの地に完成した。校舎は緩い傾斜地に建設されている。グロピウスがデッサウに建設したバウハウスの校舎や教師館のような矩形建築ではなく、建築のマスが互いに組み合わされ、そして貫通しあっている。校舎はなだらかな傾斜地を這っているように建っている。一部は宙に浮かんでいる。部分と部分が張り合い、建築の形態の妙を表現している。ハンネス・マイヤーは高く評価されて良い建築家であったと考える。

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