バウハウス

2019.05.13

バウハウスは1919年にドイツのヴァイマールに設立された写真、工芸、陶芸、デザインなどを含む美術と建築の総合的な教育を行う国立の学校で、今年2019年に創立100年を迎える。その後デッサウ、ベルリンと教育の場を移動し、1933年には台頭したナチスによって閉校を余儀なくされた。この間、わずか14年間であったが、教育にあたった教員の豪華さには圧倒される。合理主義的、機能主義的な芸術を目指し、モダニズム運動を行った。しかしバウハウスの14年間の存続期間はヴァイマール共和国の時代と一致する。ヴァイマール共和国はヴァイマールで憲法の草案が作られた事からその名がついている。憲法は極めて民主的で女性に参政権が与えられた。バウハウスはこの時に発足した国立の学校であったため、女性の入学志願者が多かった。それまで大学で学ぶ女性は極めて稀であった。初代校長のグロピウスは予想しなかった事に大いに驚いたが、入学を許可した。その結果女性は織物、染色などの技術を習得し、社会進出を果たした。バウハウスの教員になった女性もいる。ヴァイマール共和国は民主的な憲法を持つ理想国家のように見えたが、政権がよく交替し、不安定な国家であった。また天文学的なインフレーションが発生し、一般庶民は生活苦にあえいだ。一方でこれをうまく活用し、利益を得たものもいて、貧富の差が大きくなった時代であった。バウハウスもヴァイマール共和国の光と影の影響をまともに受けた。バウハウスの教授陣の名声は素晴らしいものがある。中でもパウル・クレー(Paul Klee)、オスカー・シュレンマー(Oskar Schlemmer)、ヴァシリー・カンディンスキー(Wassili Kandinsky)、ライオネル・ファイニンガー(Lyonel Feininger)などはこの時代を代表する芸術家である。これに加え、芸術教育に力を入れた教員がいる。ヨハネス・イッテン(Johanenes Itten)、ヨーゼフ・アルバース(Josef Albers)、ラスロ・ナホギ=ナギ(Laszlo Moholy-Nagy)等がいた。ヨハネス・イッテンは最初に教育学を学びその後絵画を勉強している。芸術は天性のものと考えられていた時代に、教育によってある程度の域に達することが可能であるとした。彼らの業績は現在も芸術教育に大きな影響を与えている。これに加えて初代校長はヴァルター・グロピウス(Walter Gropius)、3代目校長はミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)で、この2名は近代の4大建築家に名を連ねる。これだけの個性ある教授陣を纏めていたグロピウスは素晴らしい人間であったと改めて敬意を表する。

一覧へ戻る

page top